松永家の家紋(蔦)裏切り弾正
松永久秀
まつなが ひさひで 1510〜1578
三好家→織田家
本名

松永久秀

出自 不詳 官位 正五位下弾正小弼
役職  
戦歴  など
備考 最期 信貴山城にて爆死(69歳)
 松永久秀と言えば、13代将軍 義輝暗殺事件で、一躍 戦国屈指の「梟雄」へと上り詰めた男である。他に、主君の三好長慶に対しては、讒言・暗殺などを巧みに操り、主家・三好家を滅亡させた。また、三好三人衆との抗争では、奈良の東大寺大仏殿を焼き尽くすなど、織田信長をして「並みの者なら一つでもなし得ぬ事を、三つまでやってのけた男」と言わしめている。

 しかし、信長の近畿進出の際には、さすがの久秀も名器「九十九茄子」を献上して、素直に降伏を申し出ている。
 信長も朝廷・幕府対策などをそつなくこなすこの男を重用し、少しの間平穏な日々が訪れる。しかし、性根を変えることは出来ないらしく、武田信玄、上杉謙信それぞれの上洛時には、2度とも叛旗を翻した。結果的には謙信上洛時による2度目の謀反で久秀の生涯は閉じたことになるのだが、その謀反時も信長は名器「平蜘蛛茶釜」を差し出す事を条件に命の保証をするといった使者を久秀に遣わしている。信長が久秀謀反に対し平蜘蛛茶釜による和平公約を実行させたのは、古今東西 稀に見る名器を欲した事もあるが、何よりも松永久秀という人物を信長自身が評価をしていたからではないか…

 大和一国を領した久秀を中傷する地元大和国の百姓を私はあまり聞いた事がない。それなりに落ち着いた治世を大和国にもたらした久秀を恐らく地元の大和百姓は、慕っていたし、頼りにもしていたのではないか…
 外では稀代の梟雄と恐れられはしたが、内では意外に「毛利元就」の如くではないが、篤実な人物であったのかもしれない。

オヤジッチさんの花押

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*家紋は播磨屋さんより許可を得て転載しています。