芳賀家の家紋(陰左三つ巴)家中一の名宰相
芳賀高定
はが たかさだ ????〜????
宇都宮
本名

芳賀高定

出自 清原氏族 官位 従六位下伊賀守
役職  
戦歴  など
備考 最期 未詳
 まず、この人物の紹介の前に、下野・宇都宮氏とその一族であった芳賀氏との関係について、述べてみたい。
 もともと芳賀家は、宇都宮氏の一族であった。有力な家臣でもあり、代々宇都宮氏と婚姻関係を持って密接な関係を作り上げていた。しかし、これが主家を凌ぐ程の権力を持つ様になり、やがて、主家・宇都宮氏とも対立するようになる。まず、芳賀景高は、対立関係にあった、主家・宇都宮成綱によって殺害される。兄を殺された(芳賀)高経は、叔父・考高と共に激しく抵抗。一時、芳賀家を継いだ、成綱の弟・興綱が宇都宮家を継ぐと、これを殺害した。次の宇都宮家当主・尚綱との武力抗争は避けられず、壬生綱秀と結んで、交戦したが児山城の戦いで戦死した。
 この後を受けて芳賀氏を相続させられたのが益子勝宗の三男・高定であった。しかし、このままで高経側の遺恨が残らないはずがない。1549年、当主・尚綱は喜連川の合戦において、高経の子・高照、那須高資らに討たれた。この時、後を継ぐべき広綱は、わずか六歳。以降 芳賀高定は、この幼君を守って奮戦する。長年の悲願であった下野統一においては、旧主の仇・那須高資を千本城に破り、不穏分子である芳賀高照を討伐。また、北条氏と結び自立を図ろうとした壬生綱雄を追放し、ついに広綱による下野国の支配が確立した。
 外交においては、関東の雄・北条氏と対抗するため、常陸の佐竹氏との婚姻による同盟を成功させている。幼君・広綱を守り続け見事に家督を相続させた、高定は以降も宿老として宇都宮家を支え続ける。家中においても、主家を凌ぐ程の絶大な権力がありながら、私利私欲は一切なく、ただ主君・広綱を守り続けた。
 晩年は、芳賀家の後継者に自らが殺した高照の弟・高規(後の高継)を取立てている。あくまでも主家の安定を図り、自分の肉親を後継者にそえなかった事は、いかに主家を重んじて来たかが分かる。ただ、こうした高定の必死の働きも虚しく、国綱(広綱の嫡男)の代になり豊臣政権内部での派閥抗争に巻き込まれ、宇都宮家は突然の改易処分となる。

 抗争の絶えなかった宇都宮家を一つにまとめ、主君・広綱を最後まで支え抜いた高定は名臣と言えるであろう。

オヤジッチさんの花押

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*家紋は播磨屋さんより許可を得て転載しています。